否認事件で不起訴を取ることの難しさ
否認事件で不起訴を取るにはどうしたらよいのでしょう。
これは刑事弁護でも高度な技術と経験が必要です。そもそもやっていないのにどうして逮捕されてしまうのでしょう。逮捕前は,警察は被害者からの事情聴取を中心に事件の全容を構築していきます。加害者から事情を聞くことはしません。警察が加害者に接触した瞬間に逃亡する可能性がありますし,被害者に圧力をかけて被害届を取り下げさせる恐れもあるからです。ですから,いざ逮捕と進み,初めて加害者から事情を聞いたとき,今まで描いていた事件構図とは全く違っていたということはあり,加害者の言い分の方が被害者の訴えよりも信用できるということが稀にあるのです。こうした場合,事件送致を受けた検事は,慎重に裏付け捜査や被害者取調べを実施して容疑の有無や公判維持の可能性を吟味し,嫌疑不十分として不起訴にすることがあります。このようなケースでは,そうした検事の心証を後押しする弁護活動が必要です。
例えば,否認事件だからと言って,単純に被疑者に黙秘を勧めると,検事は加害者の言い分に関する情報を得られずに,被害者の主張を鵜呑みにして起訴する可能性があります。黙秘が必ずしも被疑者の利益につながらないこともあるのです。黙秘させるべきか,言い分を話させるべきかの判断は,経験ある弁護士にしかできません。
否認事件は,このような,最初から事件の構図自体が誤っている事例もありますが,一方で,警察や検事が加害者の否認の言い分を聞いても,容疑の存在に揺るぎない自信を示すケースもあります。このケースで不起訴を獲得することは容易ではありません。否認事件には,まったくの人違いという冤罪事件もあれば,外形的事実は間違いないが,犯意はないという事件もあります。例えば,電車で手が女性の臀部に当たったけど痴漢をしようと当ててたわけではないという主張の場合です。いずれのケースの否認事件でも裁判で徹底して争って無実を証明したいという人はいます。人違いである場合は当然のことです。しかし,犯意のみ争い,外形的行為自体を争わないケースの場合,起訴されて有罪となる確率も低くはないので,そうであれば,できれば事件を長引かせたくない,不起訴になればそれでいい,そのためなら示談をして金銭的な解決を図ることを厭わないという人もいます。一方で,検察官は,被疑者が被疑事実を認めないと不起訴処分にはしない傾向にあります。反省していないのに起訴猶予にするわけにはいかないということなのです。
では,犯意がなかったにもかかわらず,「痴漢しようと思い,触ったのです。」と「虚偽」の自白をすべきなのか,ここに悩ましい問題があります。周防正行監督の「それでも僕はやっていない」という映画では,最初に就いた弁護士が「やっていなくても事実を認めるべき」とアドバイスしていました。真実,やっていないことを,「やった」と認めさせられることは絶対的な不正義だと思います。現実的な問題としても,もし嘘の自白をして起訴猶予処分となり,晴れて釈放されたとしても,その「自白調書」は検察庁に事件記録として保管されるので,もし将来何らかの事件を起こした時に,前歴としての「犯罪行為」が新たな犯罪の処分に当たり,不利に評価されてしまうのです。
そこで,弁護士は,あの手この手でグレーな解決の糸口を探ります。検事との心理戦もあります。徹底して争えば無罪を取れる,そんな事件分析もし,証拠も集め,それをカードとして検事交渉に臨みます。それでも証拠収集量に関しては捜査機関には敵わないので,示談交渉に勝負をかけます。示談交渉も難度は高いです。被害者とされている方に,「犯人は認めて反省しています」などと嘘を告げることはできないからです。それでも示談を成立させることは不可能ではありません。当事務所でも,そのように示談を成立させている実績が数多くあります。アメリカのように「不抗争抗弁」(nolo contendere)という,「事実は認めないけど争わない」という抗弁があればいいのですが,日本の司法制度にそのような抗弁はなく,とにかく「反省させる刑事司法」なのです。その中で,不抗争抗弁に近い主張をして,不起訴を獲得するのが能力の高い刑事弁護士なのです。