否認事件における示談
否認事件にもいろいろあって,事件性や犯人性そのものを争う否認がまずあります。事件が発生したときはその場にいなかったとか,満員電車で痴漢行為をしたのは自分ではない,あるいは,これは放火ではなく電気系統が火災原因であるといった否認がそうです。このような否認事件にあっては,示談交渉の余地は全くありません。全面闘争です。示談をする理由がないうえ,本人の意思に反して示談交渉をするのは,後々紛争を招きますし,弁護過誤にもなります。
一方,否認事件には,犯意を争う場合があります。「確かに電車の中で被害者とされる女性の臀部に触れたが,それは電車が揺れた際に偶々手が当たっただけで痴漢をするつもりはなかった。」という故意否認のケースがあります。また,詐欺事件で,「最初から騙すつもりでお金を借りたのはなく,最初は返済するつもりであった。」という詐欺の故意否認の事案などが典型例です。さらに,正当防衛を主張するような否認事件もあります。例えば,傷害事件で,「殴ったのは確かだが,それは相手が最初に突然殴ってきたからで,正当防衛だ。」などという事例は,数多くあります。
このように,犯意を否認するケースや正当防衛を主張するケースでは,外形的には相手に被害を負わせていることは確かであるので(痴漢の不可抗力の事例は被害と言えるかどうか議論はあるとしても),示談交渉の余地はあります。どうして自分の主張は正当であるのに示談をして相手に慰謝料を払わないといけないのかという疑問は残りますので,これはあくまでもリスクをどう考えるかの問題で,そのリスクを本人に十分に説明して,示談交渉をするについての同意を必ず得る必要があります。
では,リスクとはどのようなリスクか。痴漢の事例で言えば,日本の刑事司法の限界があります。有罪率が99パーセントで,起訴されるならば,有罪となってしまう確率がかなり高いです。裁判官は,証拠が唯一被害女性の証言であるとき,「当該女性が見ず知らずの被告人を無実の罪で陥れる動機はなにもない。」などといとも簡単にその証言の信用性を認めてしまいます。極端に言えば,日本の刑事司法は有罪推定の原則といって良いのです。周防正行監督の「それでも僕はやっていない」という映画をご覧になった方もいると思いますが,あの映画はとてもリアルなのです。これは日本の刑事司法の限界です。また,先の傷害事件の正当防衛主張で言えば,日本の刑法や実務は,正当防衛の要件がとても厳しいのです。ほとんどのケースが「急迫不正の侵害」があったケースとは認められません。陪審制度を取る英米の司法と違うのです。これは日本の法制度の限界です。
結局,犯意を否認しても,起訴されると長く刑事司法手続に巻き込まれ,逮捕勾留で身柄が拘束されていれば,職を失い,場合によっては家族を失うこともあります。それだけでなく,多額の弁護士費用をかけて闘う裁判では,あっさりと有罪となって刑罰を受けるリスクが非常に高いわけです。
このような場合,無実主張をしつつ,いわばセーフティーネットとして予備的に示談交渉をし,示談を成立させて,弁護人の意見書としては,主として冤罪であることを主張しつつ,総合事情のひとつとして示談が成立して被害感情も緩和されたなどと記載し,検察官を説得して何とか不起訴に持ち込むという戦略を取る場合があるのです。いわば玉虫色の解決手法です。
当事務所では,数多くの刑事弁護の経験を活かし,リスクも考えて何が依頼者にとってもっとも利益となる戦略か,リスクも適正に評価しつつ,探っていきます。